『装丁ing』 2004
日本図書設計家協会編
「本」の中で泳ぐ、あるいは指先で読むこと
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昨年、十五年ぶりに泳いだ。親しいはずの水は考えていたほど優しく柔らかいものではなく、
身体の自由を奪い進むことを拒む。……溺れた。と思う瞬間があった。見上げる中での「このま
までもいい」という感覚は本を読むことと似ている。それでも眼を開け身体を動かし、水を押し
返しながら滑り込み、どこかに辿り着かなけれ ば世界には戻れない。
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「外面は、神秘的状態にまで高められた内 面の一つである」とノヴァーリスはいう。その断章を
本に携わることに置き換えて考えたい。
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本を読む人たちが、どれほど存在するのか正確には判らない。そのうちでも苦しみから言葉を
求めて書店に向かう人はごく少数だろう。本の中から外へと何かを見つけだすのは容易ではない
し、娯楽のための本であってそんなに深刻なことではないと言う人もいるかもしれない。求めて
も逆にその内容に惹かれるがために、物や言葉の表面にだけ美しさがあるとして閉じこもるなら、
現実はより苦しく辛い世界へと様変わりしてしまうかもしれない。
本を探し、そしてできることなら生きていく糧にして欲しい。わたしは本が持つある種の力に
少しでも光を与え、その信号をより強く送ることをこそ願っているのだが……。
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かつて、オフセット印刷のためのポジフィルムは全て製版レタッチという熟練した職種によっ
て、指定紙を読み取られ、解釈され、四色の各版へとモノクロームに焼き付けられていくものだ
った。現像する前のネガフィルムは真逆の思考を組み立て露光される。鋭利な刃で切られたテー
プで分解した写真が貼り付けられ、精巧に切り抜かれたマスク版や遮光する版が何枚も作られ焼
き込む手順を構成されて いく。
符丁が飛び交う細やかな動きの指先を持つ人たちと共同作業を続けたくて、印刷への興味が深
まり学び続けてきたのだと最近気がついたが、写本・木版・石版 ・活版・オフセットへと工程が
変遷したと同様に、現在では手動写植や版下、集版や刷版さえ飛び越え入稿されたひとつのデー
タが出力されていくことになりつつある。
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意識だけで世界が存在するなら切り離された身体は壊れていく。手と足がちぐはぐに動いて、
些細な段を踏み外し、右手でそそいだ熱湯が方向を誤り左手に火傷を負わせるように。
重みと手触りのある紙の塊として読者の掌に渡る本に携わりながら、より多くの人の情熱が込
められる時間が減り続けることに戸惑い続けたい、身体性を忘れてしまいたくないと思うのは懐
古趣味だろうか。
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ある瞬間に電話が鳴り全てが中断する。開く。声を一瞬で咀嚼 する。閉じる。原稿が到着する。
開く。解釈し、イメージを探す。 突然の直観。指先を動かし構成する。閉じる。印刷、製本され
るま でに起こりうるであろう手違いや行き違いについて予想する。開く。指定を進め印刷へと入
稿する。水の中にいるようにパチパチと 眼をまばたく。読むことが重なり、編まれていく。
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『驚異の発明 家の形見函』は指を切り取られた主人公の少年に重ね合わせて、個
人的なオブジェ
を構成。『ラピスラズリ』は五篇・三テーマを現す星を僅かに青金石色で箔押し、図版で窓を開
ける。『琥珀捕り』では琥珀色の中にヘルメス・人魚・チューリップの花や球根・顕微鏡
・蜘蛛
など登場するものたちを閉じこめた。
……claviusへ。 Yanagawa
Takayo
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